大井(オオイ)
地名 : 品川区大井 西大井 東大井 南大井
駅名 : 大井町駅(JR京浜東北線・りんかい線 東急大井町線)、西大井駅(湘南新宿ライン)、大井競馬場前(東京モノレール)
いくつか説があるようですが、はっきりしていません。
光福寺の井戸の説が親しまれているようです。
説としては、以下の通り。
①光福寺(品川区大井6-19-17)は麻布山善福寺の中興の祖である了海上人が誕生した地として有名です。
了海上人が誕生した際に、泉が湧き出し、その泉の名前を「大井」と呼び、それが「大井」の地名にもなった。
光福寺 = 品川区大井6-19-17。延暦元年(782年)の創建。
麻布山善福寺 = 弘法大師が関東一円に真言宗を広めるために、高野山に模して麻布山善福寺を天長元年(824年)開山。都内では金竜山浅草寺につぐ最古の寺院。
了海上人 = 幸福寺にて誕生。七才で仏門に上り、比叡で顕密二法を修めた俊英の僧で、当時若冠十七才でした。 延応元年(1239年)~元応2年(1320年)
②大井氏によって治められた地であるから。(鎌倉時代初期)
実はこの地を治めるようになってから大井氏を名乗るようになったそうです。
大井 実春 = おおい さねはる(生没年未詳)は、平安時代末期、鎌倉時代初期の武蔵国荏原郡大井郷の武将。鎌倉幕府御家人。
父は紀実直。本姓は紀氏。同族に品河氏がある。通称は兵衛次郎、兵三次郎。
③藺草(いぐさ)が生い茂っていたことから「大藺」の名が起こり、後に大井に転じた。
④深い入江を「大江」と呼び、それが訛ったとする説。
⑤よく肥えた土地で大なる収穫があったため、古代の税収制度の井田制にちなんで、「大井田(だいせいでん)」となり、それを「おおいだ」と読んで「大井」となったという説。
①の光福寺の井戸の説について補足。
伝説では、了海上人が誕生した際に湧き水が起こり、産湯につかったということで、その後、山号を大井山にした、ということになっています。
大井の名は、927年(延長5年)に完成した律令の細則(延喜式)に宿駅名としてあるため、この光福寺の説は時間的に無理とされます。
しかし、とある古書にこの井戸はこの横に大きな穴であったという記述あり、普通に想像する縦に掘られた井戸というより、大きな洞窟のような穴から湧き出る水ではなかったのでしょうか。
伝承では、横に大きな穴、横井(おうい)が大井になったという説もあるそうです。
了海上人が産湯につかったのは確かかもしれませんが、井戸自体はもっと古くからありました。
しかしあまりにも有名になった了海上人をたたえるため、大井の由来も了海上人の功績と語られるようになったのではないか、と仮定したらいかがでしょうか。