東京

4月 272014
 

浮間(ウキマ)

地名 : 北区浮間
駅 : 浮間舟渡(ウキマフナド JR埼京線)
公園 : 浮間公園
橋 : 浮間橋
神社 : 浮間不動尊(北区浮間2-19-6 氷川神社内) 


荒川に突き出た形が浮島に見えたことから起きた地名。
かつては「浮間ヶ原」と呼ばれていた。

浮島→うきしま→うきま→浮間 ということ。

浮間(浮間公園)

4月 252014
 

浅草(アサクサ)

地名 : 台東区浅草・西浅草・東浅草・元浅草
駅 : 東武伊勢崎線「浅草」駅、東京メトロ銀座線「浅草」駅、都営浅草線「浅草」駅
寺 : 浅草寺(たぶん)

草の少ない土地だったから。→草が浅い(草深いの反対) = 浅草

浅草の名前が書に出てくるのは、1181年(養和元年)の「吾妻鏡」が最初のようです。
由来の根拠となるのは、「江戸往古図説」にある

往古下谷より此わたりへかけて平地にして武蔵野の末にて草もおのづから浅々しき故浅草と云しなるべしといへりさもあらんか

という記述です。
素人ながら要約させていただくと、「草も少なく(浅く)て、浅草というのも頷ける」っといった感じでしょうか。

この「江戸往古図説」の出所がよくわからないのですが、1800年(寛政12年)にできた書物のようで、その中を見ると、康正2年(1456年)や天明4年(1784年)の期日があります。
古文書なんか読んだことないので、推測するに、康正2年(1456年)ごろの記録が、天明4年(1784年)に見つかったということではないかと。

そうしますと、この記述はけっこう時代が新しいように感じられます。
これでは、地名の裏付にはなっても根拠というには時代に隔たりがありすぎるのではないかと。

そこで想像を働かせて、浅草といえば浅草寺。
かの有名な浅草寺ができたお陰で街が発展し、人が集まった。街が発展すれば、草は刈り払われ、草も浅くなる。
それで浅草になった、というのはいかがでしょうか。

ここまで言っておきながら、しかし、それでは浅草寺の命名はいつから、ということになってしまいます。

お寺が建立されて街が発展し、街が浅草と呼ばれたので、お寺も浅草寺と呼ばれるようになったなら、そういう逸話が伝承されててもよいように思いますが、そんなことは全くなさそうですので、浅草寺は初めから(そうでなくとも相当古いころから)浅草寺だったようです。

ここまで考えると、やはり浅草寺ができる前から、浅草は浅草と呼ばれていたと考えるのが自然です。

元々、この地は隅田川の河口付近で産物も豊富、平地でしかも高台、暮らしやすい土地だったらしいので、自ずと人が集まり栄えていたとも考えられます。それで、草が浅くなった。
それとも、街が発展したために草が浅くなったということではなく、ただ単に元々、草の少ない土地だったというだけなのかもしれません。


浅草寺(せんそうじ)
東京都台東区浅草2-3-1にある東京都内最古の寺。雷門や仲見世があり、東京有数の観光地でもある。
浅草寺は、628年、推古天皇の時代、この土地の漁師が隅田川で観音像を網で掬い上げ礼拝供養したのが始まりとのこと。

日本仏教では、中国での発音が原則のため音読みの「せんそうじ」となるそうです。
(京都の清水寺のように例外もあります。)

浅草(浅草寺)

4月 212014
 

神田(カンダ)

地名 : 千代田区神田○○、・内神田(ウチ)、・外神田(ソト)、・西神田(ニシ)、・東神田(ヒガシ)
駅 :   神田駅(JR、東京メトロ銀座線)
神社 : 神田明神
川 :   神田川

神社が所有する田を指す神田(しんでん、かんだ、こうだ、かみだ)に由来する。

神田は神社(しばしば伊勢の神宮)に納める稲を作る田のことで、それがあった場所の地名になっていることも多いそうです。
ということで、この周辺は神社の所有する田のあった地と思いたいのですが、いかがでしょうか。

では、神田周辺にはそんなにたくさんの田んぼがあったのかということに、疑問が残ります。
現在の千代田区には神田の名のつく地名がたくさんありますが、そこが全て田んぼだったかどうかはわかりません。
現在の神田○○の地名ができたのは、1947年(昭和22年)に、かつての神田区と麹町区が合併した千代田区の誕生の際に、神田区の町名には「神田」を冠した町名に変更されたことによります。(一部例外の町名あり。)
こんなに広大な地域が田んぼだったとは考えられないですよね。

そこで気になる存在が、神田明神です。

神田明神は、平安時代の730年(天平2年)、武蔵国豊島郡芝崎(現在の千代田区大手町将軍塚周辺)に創建された大変古い神社です。
のちの1309年(延慶2)に平将門の霊を相殿に祀り、神田神社と名付けられました。

(そんなんです。「神田明神」という名は通称で、正式には「神田神社」正しいそうです。「神田明神」の名前があまりに親しまれているので、あえてそうしているそうです。)

徳川家康が江戸幕府の地と定め、大規模な城下の造成工事を始めることとなり、1616年(元和2)に江戸城の表鬼門に当たる現在の地に移されました。それ以降、歴代将軍の崇敬も篤く、神田明神は江戸の総鎮守として庶民に至るまで人々の崇敬を集めてきました。
今でも、神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神でその影響は広範囲に及ぶそうです。

このような訳で、広く江戸の街に影響を及ぼした神田明神の名が、今でも数多く残る「神田」の地名の元となったと考えてはどうでしょうか。
「神田」は、言葉の起こりとしては、神社の田んぼで正しいと思いますが、東京の神田の由来としては、この地にある神田明神の神田が由来といってもよいのではないでしょうか。
(100%想像です。)

その神田明神ですが、そのホームページで神田明神の「神田」の由来について、話されています。
確かなことはわからないようですが、以下のような説があるそうです。

①神社を創建した真神田氏の名からとり「神田」とし地名の「神田」もここからつけられた。
②ご祭神・平将門命にちなんだ説として、将門公の「からだ」がなまって「神田」、「からだの明神」が「神田明神」となったという説や、将門公の「かため」がなまって「神田」、将門公が片目を射抜かれたという伝説からつけられたものなどがある。
③「神田」を「みとしろ」と読ませ、伊勢の神宮に奉納する初穂を作る神の田んぼ=神田(みとしろ)から名づけられたという説

神田(神田明神)

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