岩淵小学校

4月 202014
 

岩淵町(イワブチマチ)

地名 : 北区岩淵町
学校 : 岩淵小学校

荒川のほとりでゴツゴツとした岩場だったことから起きた地名。

岩淵は古くからある地名で、古くは鎌倉時代の書にその名がみられます。
かつては武蔵国豊島郡岩淵郷(いわぶちのさと、いわぶちごう)と呼ばれた地域で、1429年(正長2年)の書には、「武蔵国岩淵関所」の名があり、この地が古くからの交通の要衝だったことがわかります。
また室町時代の「小田原衆所領役帳」には、「太田新六郎知行江戸岩淵五ヶ村」とあり、岩淵郷には5つの村が存在していたようです。

小田原衆所領役帳(おだわらしゅうしょりょうやくちょう)
 相模の戦国大名北条氏康が作らせた、一族・家臣の名や禄高、地位、役職などを記した帳面。
 原本は伝存せず、氏康期にあたる1559年(永禄2年)の写本。
 後北条氏は、1520年(永正17年)から1955年(弘治元年)にかけて領国内における数度の検地を実施しており、それに基づいて作成されたと考えられている。

江戸時代にはこの岩淵から新堀村(現在の荒川区西日暮里)、下駒込村(現在の文京区本駒込)のあたりまで広く岩淵領が置かれていました。
その中の岩淵宿は日光御成街道の第一の宿駅であり、岩淵郷の本村(中心)でした。
「元禄の改め」では岩淵本宿と記され、「正保の改め」では岩淵町と記されています。
明治に入り、岩淵本宿町が正式な名称となりました。

1889年(明治22年)、市制町村制により、岩淵本宿町、稲付村、赤羽村、袋村、下村、神谷村が合併し岩淵町となりました。
当初は、「岩淵町」ではなく「赤羽村」という名称にする予定でしたが、住民が岩淵本宿町が分村の名前に変えられることへ大きく反発したため、結果として「岩淵町」が採用されたそうです。
その理由は、鉄道の発展により岩淵本宿町が衰退し、軍事都市赤羽が発達しつつあったことによるそうです。

岩淵町(岩淵水門)

 

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