4月 252014
 

浅草(アサクサ)

地名 : 台東区浅草・西浅草・東浅草・元浅草
駅 : 東武伊勢崎線「浅草」駅、東京メトロ銀座線「浅草」駅、都営浅草線「浅草」駅
寺 : 浅草寺(たぶん)

草の少ない土地だったから。→草が浅い(草深いの反対) = 浅草

浅草の名前が書に出てくるのは、1181年(養和元年)の「吾妻鏡」が最初のようです。
由来の根拠となるのは、「江戸往古図説」にある

往古下谷より此わたりへかけて平地にして武蔵野の末にて草もおのづから浅々しき故浅草と云しなるべしといへりさもあらんか

という記述です。
素人ながら要約させていただくと、「草も少なく(浅く)て、浅草というのも頷ける」っといった感じでしょうか。

この「江戸往古図説」の出所がよくわからないのですが、1800年(寛政12年)にできた書物のようで、その中を見ると、康正2年(1456年)や天明4年(1784年)の期日があります。
古文書なんか読んだことないので、推測するに、康正2年(1456年)ごろの記録が、天明4年(1784年)に見つかったということではないかと。

そうしますと、この記述はけっこう時代が新しいように感じられます。
これでは、地名の裏付にはなっても根拠というには時代に隔たりがありすぎるのではないかと。

そこで想像を働かせて、浅草といえば浅草寺。
かの有名な浅草寺ができたお陰で街が発展し、人が集まった。街が発展すれば、草は刈り払われ、草も浅くなる。
それで浅草になった、というのはいかがでしょうか。

ここまで言っておきながら、しかし、それでは浅草寺の命名はいつから、ということになってしまいます。

お寺が建立されて街が発展し、街が浅草と呼ばれたので、お寺も浅草寺と呼ばれるようになったなら、そういう逸話が伝承されててもよいように思いますが、そんなことは全くなさそうですので、浅草寺は初めから(そうでなくとも相当古いころから)浅草寺だったようです。

ここまで考えると、やはり浅草寺ができる前から、浅草は浅草と呼ばれていたと考えるのが自然です。

元々、この地は隅田川の河口付近で産物も豊富、平地でしかも高台、暮らしやすい土地だったらしいので、自ずと人が集まり栄えていたとも考えられます。それで、草が浅くなった。
それとも、街が発展したために草が浅くなったということではなく、ただ単に元々、草の少ない土地だったというだけなのかもしれません。


浅草寺(せんそうじ)
東京都台東区浅草2-3-1にある東京都内最古の寺。雷門や仲見世があり、東京有数の観光地でもある。
浅草寺は、628年、推古天皇の時代、この土地の漁師が隅田川で観音像を網で掬い上げ礼拝供養したのが始まりとのこと。

日本仏教では、中国での発音が原則のため音読みの「せんそうじ」となるそうです。
(京都の清水寺のように例外もあります。)

浅草(浅草寺)

1月 232013
 

秋葉原(アキハバラ)

地名 : 台東区秋葉原

駅名 : 秋葉原駅(JR山手線・総武線・京浜東北線、東京メトロ日比谷線、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス)

※駅の住所は千代田区外神田・神田佐久間町になり、地名の秋葉原とは所在が異なります。
ここでは、地名の秋葉原として記載しますが、由来は同じようです。

かつての東京(江戸)は火事の多い街でした。
火事の延焼を防ぐために設けられた空地(火除地・ヒヨケチ)が由来となりました。
(でも、ちょっと複雑)

1869年(明治2年)12月、東京で大火がありました。
大火の被害を憂慮した明治天皇が、火事でできた焼け野原、現在のJR秋葉原駅付近に「鎮火社」を築きました。

人々はこの「「鎮火社」を、江戸時代に火防(ひぶせ)の神として広く信仰を集めていた秋葉大権現(アキハダイゴンゲン)が勧請されたものと誤解、「秋葉様」「秋葉さん」と呼びました。
※秋葉大権現(現在の秋葉山本宮秋葉神社(アキハヤマ ホングウ アキハジンジャ) 静岡県浜松市天竜区春野町領家841)

また明治天皇は、火事でできた焼け野原を火災時の緩衝地帯としたため、人々はこの空地を「秋葉の原」「秋葉っ原」と呼んだことが「秋葉原」の地名に由来します。

このときの鎮火社は、1870年(明治3年)に「秋葉社」となり、1888年(明治21年)に現在の台東区松が谷3-10-7に引越しし、秋葉神社(アキハジンジャ)となりました。
「秋葉社」の引越しは、 この地に駅を建設することが目的で、 この地にできた駅が現在の「秋葉原駅」です。(現在の東北本線の駅だったそうです。)

「台東区秋葉原」の住居表示は、1964年10月1日に「台東区松永町」、「台東区練塀町」から変更されました。

「秋葉」の読み方は「アキハ」と「アキバ」、「秋葉原」の読み方は「アキバハラ」と「アキハバラ」とそれぞれが使われていたようで、正しい東京便は濁って発音するなどと議論がされたようですが、結果として、「アキハバラ」になったようです。なぜそうなったかはよくわかりません。
神社は「アキハ」と読むのが正しいようですが、全国には同じ名の鎮火神社があり、中には「アキバ」と読む神社もあるようです。

勧請(カンジョウ) = 神仏の来臨や神託を祈り願うこと。また、高僧などを懇請して迎えること。
神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること。

 秋葉原の風景 12/17
秋葉原の風景 12/17 / tomoki-takahashi

7月 112012
 

上野(ウエノ)

地名(台東区上野・東上野・上野公園・上野桜木)

駅名(JR、東京メトロ銀座線・日比谷線、京成電鉄 「上野」駅)

公園名(上野恩賜公園)

諸説ありますが、その地形からが有力のようです。

大昔、この地域は東京湾に突出した岬だったそうです。
海岸が後退し、陸地になると低地部分からみて、上にある野(台地)ということで、上野となったというのが大体の意味のようです。

この上野に対して、低地部分を下谷(シタヤ)と呼び、この下谷も現在の台東区の地名に残っています。

また、江戸の町(おそらく江戸城周辺)から上(北)にある野原と言う意味からという説もあります。

この他に、藤堂高虎(トウドウ タカトラ、1556年~1630年、戦国時代から江戸時代初期の武将、大名、伊予国今治藩主。)が、当地の地形が本拠地たる伊賀上野(イガウエノ・現在の三重県西部 伊賀地方)に似ている点から「上野」と命名したという説。

小野篁(オノ ノ タカムラ。802年~853年、平安時代前期の官人、学者、歌人)が上野国(コウズケノクニ・現在の群馬県)での任を終えて京へ帰る途中で、当地に館を建ててしばらく滞在し、その際地元の人が篁(タカムラ)のことを呼んだ「上野殿」が地名になったという説。

というのもあるそうです。

20090615上野-02
20090615上野-02 / Hinata-sennin

10月 302011
 

台東(タイトウ)

区名(台東区)
町名(台東区台東)

昭和22年(1947年)に以前にあった下谷区と浅草区が統合され、台東区となった。
「台」は上野の高台、「東」は上野の東側に広がる下谷、浅草の地を表している。

この「台東」という言葉は、めでたい言葉とかよい意味の言葉から成り立つ瑞祥地名(ズイショウチメイ)として、18世紀に中国で編纂された「康煕字典(コウキジテン)」という漢字字典に載っている。
瑞祥地名だから採用されたのか、採用されたら瑞祥地名だったのかは不明。

谷中17
谷中17 / nakimusi

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