5月 282014
 

吾妻橋(アヅマバシ)

地名:墨田区吾妻橋
駅名:本所吾妻橋駅(都営浅草線)
橋名:吾妻橋


隅田川にかかる橋、吾妻橋に由来する。


町人がお金を出し合い幕府に嘆願して許可を得た吾妻橋が隅田川に架けられたのは、1774年(安永3年)のことで、当時、隅田川が大川と呼ばれていたことにちなんで、「大川橋」という名前だったそうです。
ところが、江戸の人々は「あずまばし(あづまばし)」と呼んでいたそうです。

なぜ、「あずまばし(あづまばし)」かというと、

①橋が江戸城の東側にあったので「東(あずま)橋」。
 筆者の想像では、浅草から対岸の東側に行くので、「東(あずま)橋」というのありな気もしますが、どうでしょうか。

②浅草から橋を渡って対岸にある吾嬬(あづま)神社の参道になったことから「吾嬬(あづま)橋」。
 ※「嬬」は「妻」の同義語

 吾嬬神社(墨田区立花1-1-15)


なるほど、となりますが、さらに②の吾嬬神社の起こりがまた興味深い。

古代、日本武尊(ヤマトタケル)の東征の際に相模から上総へ渡ろうとして暴風に遭い、弟橘媛(オトタチバナヒメ・日本武尊の妻)が身を海に投じて暴風を鎮めたことから、日本武尊は当時浮き洲であった当地に上陸できたものの、弟橘媛は行方知れずとなり、弟橘媛の御召物がこの地の磯辺に漂い着いたので、これを築山に納めて吾嬬大権現として崇めたのが始まりだと伝えられます。


この伝承は、他の土地(神奈川県や千葉県)にもみられ、日本武尊(ヤマトタケル)、弟橘媛(オトタチバナヒメ)にちなんだ神社もあるそうです。
しかし、吾が妻(嬬)の神社と呼ばれているのは、吾嬬神社だけのようで、なんだか太古のロマンのようなものを感じます。(おっさんの世迷言でしょうか。)
この伝承にまつわる地名が他にも各地に残されているそうです。

吾妻橋は1876年(明治9年)年に架け替えられ、正式に「吾妻橋」となったそうです。
そして、1966年(昭和41年)の新住居表示により吾妻橋の地名ができたとのことです。

吾妻橋

1月 252013
 

錦糸(キンシ)

地名 : 墨田区錦糸

駅 : 錦糸町駅(キンシチョウ)(JR中央・総武線、東京メトロ半蔵門線)

現在の錦糸町駅の北側にあった堀が錦糸堀と呼ばれたことから。
なぜ錦糸堀と呼ばれたかは不明。

錦糸堀の由来は、諸説ありというより不明というのが正しいのかもしれません。
一説には、「岸堀がなまった」や「この辺りで琴糸を作っていた」とか、「朝日夕日にきらめくお堀の水面が金糸のようだから」などとあります。

岸堀とは堀の岸の意味なのかよくわかりませんし、琴糸が名産ならもっと記録が残っていてもよさそうだし、水面がきらめくのは他のお堀でもいっしょだし、説得力がどれも不足ではないでしょうか。

江戸末期から明治にかけて活躍した歌舞伎作家、河竹黙阿弥の作に「孝女お竹」があります。
この話の舞台の一つが「錦糸堀」であり、「錦糸掘」を記録する唯一の文献だそうです。
そうすると、この作品が元で「錦糸掘」という名が広まったと考えたくなります。

かってな想像なのですが、「錦糸掘」は河竹黙阿弥の全くの創作で、何らかの思惑で、もしかしたら適当に考えられただけなのかもしれません。

1872年(明治5年)、本所錦糸町ができ、1911年(明治44年)、錦糸町の地名になりました。
1915年(大正4年)には、総武線の駅名も錦糸町に改称されました。
その後、1967年(昭和42年)に新住居表示により「錦糸」の地名になりました。駅は今でも錦糸町です。

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7月 182012
 

押上(オシアゲ)

地名(墨田区押上)
駅名(「押上<スカイツリーまえ>」駅:京成線・都営浅草線・東京メトロ半蔵門線・東武伊勢崎線)

何かが押し上げられたらしい。
押し上げられたのは、「潮」か「土」のようである。

今の東京湾は、かなりの範囲が埋め立てられて陸地となっています。
昔は、大小の川が東京湾に流れ込み、また運河が整備され水運が発達した都市でもありました。
このことから、満潮時や高潮の際は、現在の陸地部分にも「潮」が押しよせた(押し上げた)のは、たやすく想像できます。

またこの地域の形成が、潮または河川の力による「土」堆積によるものとする説もあり、河口が陸地になっていく様子から「押上」と呼ばれるようになったという説もあります。
「土」の堆積については、河川の氾濫で土砂が押し上げられたという見方もあります。
おそらく、両方ではないでしょうか。

P5040257
P5040257 / Zengame

11月 012011
 

墨田(スミダ)

区名(墨田区)
町名(墨田区墨田)

墨田区のウェブサイトによると、隅田川堤の通称である「墨堤(ぼくてい)」の「墨」と、隅田川の「田」を合わせて、墨田となったとされます。

墨田区は、昭和22年(1947年)3月15日に、北部区域の向島区と南部区域の本所区が一つになって誕生しました。そのときに、新しい区の名前として「墨田区」と名付けられました。それは、昔から広く人々に親しまれてきた隅田川堤の通称“墨堤”の呼び名の「墨」からと、“隅田川”の名の「田」からの2字を選んで名付けられたものです。なお、区名を決めた当時、「隅田」を推す意見がもっとも多かったのですが、当時「隅」という字が当用漢字になかったために使うことができず、さらに、隅田川が法律で正式な名称とされていなかったため、「隅田区」の誕生に至りませんでした。
墨田区のウェブサイトより  http://faq.city.sumida.lg.jp/ttlfaq/faq/detail.asp?baid=13&strkind=5&Page=&Rows=&NB=&AspPage=DTL&RFaqIDs=127&FAQID=1460&Option=&NodeID=&DispNodeID=&CID=&Text=&Field=&KW=&KWAnd=&Attrs=&Bind=

勝手な想像ですが、要するに隅田川が語源と考えてよいのではないのでしょうか。

Scene Sumida River at Mukojima, Tokio
Scene Sumida River at Mukojima, Tokio / New York Public Library

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