5月 232014
 

大井(オオイ)

地名 : 品川区大井 西大井 東大井 南大井
駅名 : 大井町駅(JR京浜東北線・りんかい線 東急大井町線)、西大井駅(湘南新宿ライン)、大井競馬場前(東京モノレール)


いくつか説があるようですが、はっきりしていません。
光福寺の井戸の説が親しまれているようです。


説としては、以下の通り。

①光福寺(品川区大井6-19-17)は麻布山善福寺の中興の祖である了海上人が誕生した地として有名です。
 了海上人が誕生した際に、泉が湧き出し、その泉の名前を「大井」と呼び、それが「大井」の地名にもなった。

 光福寺 = 品川区大井6-19-17。延暦元年(782年)の創建。

 麻布山善福寺 = 弘法大師が関東一円に真言宗を広めるために、高野山に模して麻布山善福寺を天長元年(824年)開山。都内では金竜山浅草寺につぐ最古の寺院。

 了海上人 = 幸福寺にて誕生。七才で仏門に上り、比叡で顕密二法を修めた俊英の僧で、当時若冠十七才でした。 延応元年(1239年)~元応2年(1320年)

②大井氏によって治められた地であるから。(鎌倉時代初期)
 実はこの地を治めるようになってから大井氏を名乗るようになったそうです。

 大井 実春 = おおい さねはる(生没年未詳)は、平安時代末期、鎌倉時代初期の武蔵国荏原郡大井郷の武将。鎌倉幕府御家人。
        父は紀実直。本姓は紀氏。同族に品河氏がある。通称は兵衛次郎、兵三次郎。

③藺草(いぐさ)が生い茂っていたことから「大藺」の名が起こり、後に大井に転じた。

④深い入江を「大江」と呼び、それが訛ったとする説。

⑤よく肥えた土地で大なる収穫があったため、古代の税収制度の井田制にちなんで、「大井田(だいせいでん)」となり、それを「おおいだ」と読んで「大井」となったという説。


①の光福寺の井戸の説について補足。
 伝説では、了海上人が誕生した際に湧き水が起こり、産湯につかったということで、その後、山号を大井山にした、ということになっています。
 大井の名は、927年(延長5年)に完成した律令の細則(延喜式)に宿駅名としてあるため、この光福寺の説は時間的に無理とされます。
 しかし、とある古書にこの井戸はこの横に大きな穴であったという記述あり、普通に想像する縦に掘られた井戸というより、大きな洞窟のような穴から湧き出る水ではなかったのでしょうか。
 伝承では、横に大きな穴、横井(おうい)が大井になったという説もあるそうです。


 了海上人が産湯につかったのは確かかもしれませんが、井戸自体はもっと古くからありました。
 しかしあまりにも有名になった了海上人をたたえるため、大井の由来も了海上人の功績と語られるようになったのではないか、と仮定したらいかがでしょうか。

大井競馬場

1月 252013
 

荏原(エバラ)

地名 : 品川区荏原

駅 : 荏原町駅(東急大井町線)

学校 : 荏原平塚学園(小中一貫校)、荏原第一中学校、荏原第五中学校、荏原第六中学校、日体荏原高等学校

荏胡麻(エゴマ)の茂る原に由来。
※荏胡麻=シソ科の一年草。食用または油の採取用。地方では食すると十年長生きするという言い伝えがあり、「ジュウネン」とも呼ばれる。

荏原の地名は古く、古代の武蔵国荏原郡の名が平安時代初期(7世紀後半から8世紀後半頃)の文献にみられるそうです。
武蔵国荏原郡は、現在の品川区・大田区・目黒区の全域と千代田区・港区・世田谷区の一部にまたがる広大な地域でした。

明治になり東京府を構成する6郡の一つとなり、1926年(大正15年)の郡役所廃止、昭和7年の東京市との合併によって荏原郡の地名はなくなります。
しかし、1927年(昭和2年)から「荏原町」、1932年(昭和7年)に「荏原町」がそのままの地域の形で「荏原区」になりました。
その後、昭和22年に品川区と荏原区が合併し、新「品川区」となり、品川区内の地名として「荏原」となり、現在に至ります。

ちなみに、株式会社荏原製作所(東京都大田区羽田旭町11-1)、「焼肉のたれ」でおなじみのエバラ食品工業株式会社(神奈川県横浜市西区北幸2-5-15)の「荏原(エバラ)」も この地名に由来するそうですよ。

サンチュ、エゴマの葉
サンチュ、エゴマの葉 / ayustety

7月 132012
 

戸越(トゴシ)

地名(品川区戸越)

駅名(「戸越」駅:都営浅草線、「戸越銀座」駅:東急池上線)

この地は、江戸時代に東海道において、江戸市中との境目にありました。
江戸の境目を越えて行くということで、江戸越えが戸越え(トゴエ)になり、それがなまって戸越(トゴシ)になったそうです。

戸越の「戸」は、江戸ではなく、谷戸(ヤト)とする説もあるそうです。

谷戸=丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形である。また、そのような地形を利用した農業とそれに付随する生態系。谷(ヤ、ヤト)、谷津(ヤツ)、谷地(ヤチ)、谷那(ヤナ)などとも呼ばれる。

日本一長い商店街として有名な、戸越銀座商店街は、関東大震災(大正12年・1923年)で被害を受けた銀座から、レンガを譲り受け、水はけの悪かった戸越の大通りに再利用し、このことから銀座という名前も譲り受け「戸越銀座」の名前が誕生しました。(日本初の○○銀座の誕生でした。)

この地域の地形はわかりませんが、水はけの悪い地域だったということは、「谷戸」の説もまんざらではないかもしれません。

R0013362
R0013362 / hirohama

10月 312011
 

品川(シナガワ)

区名(品川区)
駅名(品川駅)

由来には諸説あります。

①目黒川は古くは品川と呼ばれ、その下流、河口付近を品川と呼んだ。

 そうすると、なぜ品川と呼ばれたのかが疑問になります。
 これにもまた、諸説があるようです。

1. 目黒川は河口付近で大きくカーブしているため、「しなり川(しなる川)」と呼ばれ、それが品川になった。

2. 神奈川の語源になった上無川(水源が定かでない川)に対して、目黒川を下無川(しもなしがわ)と呼び、それが略されて品川になった。

 この場合、なぜ目黒川が神奈川に対抗しなければならなかったのかがわかりません。
 水源のわからない上無川に対抗するのであれば、かつての目黒川は、河口付近で川が枝分かれし、いくつもの川が東京湾(江戸湾)へ注いだと考えれば、一応の納得はできますが。(推測です。)

②目黒川の河口付近は港としても栄え、よく品物が飛び交ったことから、品川となった。

③高輪(たかなわ)に対して、「品」のよい地形(土地)ということで、品ケ輪と呼ばれ、それが品川となった。

 この場合の「品」は質という意味でしょうか。
 そうすると、高輪がそんなに悪い土地だったのかと疑問に思いますが、高輪についてはまたいつか。

④かつてこの地域を支配した豪族が、品河(川)氏であり、そこから品川と呼ばれた。

 これは納得といきたいところですが、品河氏の支配以前に品川の名はみられ、語源ではないという説もあります。

⑤鎧の威(おどし)に使用する品革(しながわ)を生産した土地であることから。

 この他にも、①-2の下無川の説を一つの説とする方もいます。

どの説も土地と歴史を感じさせる説です。
どの説のかの可能性を考えるより、古くからそれだけしたしまれた地名ということに感心します。

ちなみに、品川のつく地名としては、東西南北をくっつけて、東品川、西品川、南品川、北品川がありますが、単独で「品川」という名は区名と駅名のみにあります。

Tennoz_2007-06-06N010
Tennoz_2007-06-06N010 / Moriya, Tomo

品川の賃貸マンション

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