2月 062013
 

常盤台(トキワダイ)

地名 : 板橋区常盤台・南常盤台
駅名 : ときわ台(東武東上線)

「ときわ台」駅南口の天祖神社にある松が常緑樹(常盤木(トキワギ))であることから。

※天祖神社(板橋区南常盤台2-4-3)

1931年(昭和6年)東武鉄道がこの地に駅を開設し、宅地造成を行う際に、天祖神社にお参りしところ、境内に松林があったそうです。
松のような常緑樹を常盤木と呼ぶことから、「武蔵野の常盤木」ということで、駅名を「武蔵常盤」駅に、分譲地を「常盤臺(台)住宅」としたそうです。
駅は1951年(昭和26年)に「ときわ台」となりました。

東京の地名の由来 東京23区辞典 さんを参考にさせていただきました。ありがとうございました。)

そうすると、分譲地の売出し名が地名になったとも考えられますが、ここでは「松」ということにしておきます。

松林口的?景
松林口的?景 / utpala ?

5月 302012
 

赤塚(アカツカ)

地名(板橋区赤塚、板橋区赤塚新町)
駅名(下赤塚(東武東上線))
駅名(地下鉄赤塚(東京メトロ有楽町線))

赤塚という塚(墓)があったことによる。

現在の板橋区赤塚八丁目にあるお寺、松月院の門前あたりに古墳時代の円墳(塚)があったとされる。
この塚は、人々に恐れられていたため、人々が近づかず、荒れ果てた。荒れた塚=荒塚がなまり、赤塚になった。

また、荒塚の説として、この円墳(塚)は、江戸時代に成立した『新編武蔵国風土記稿』に「豊島郡荒墓郷荒墓」と記録される。
この「荒墓」が、墓=塚で「荒塚」と呼ばれた。(ウィキペディアより)
ただし、鎌倉時代から室町時代には赤塚郷(アカツカゴウ(アカツカノサト))呼ばれていたそうで、赤塚の成立は江戸時代より古い時代とも推測されます。

他に、関東ローム層の赤土からできた塚なので、赤い塚=赤塚という説もあります。

居並ぶ仏様
居並ぶ仏様 / odysseygate

11月 212011
 

板橋(イタバシ)

区名(板橋区)
町名(板橋区板橋)
駅名(JR埼京線「板橋」駅)

中山道が石神井川を横切る地点に架けられた木の橋を「板橋」と呼んだことからと言われています。

「延慶本平家物語」という軍記によると、治承4年(1180年)に挙兵した源頼朝が、「武蔵国豊島ノ上滝野川ノ板橋」に布陣しています。ここに地名としての「板橋」が初めて現れ、少なくともこの資料が成立したとみられる鎌倉時代には「板橋」の地名があったことがわかります。しかし、地名発祥の由来については、はっきりした史料はなく、一般的には、中山道が石神井川を横切る地点にかけられた木の橋を“板橋”と呼んだといわれています。板橋区ホームページより http://www.city.itabashi.tokyo.jp/c_kurashi/012/012405.html

注)石神井川は、古くは滝野川とも呼ばれていました。 今でも、都営三田線の「板橋区役所前」駅と「板橋本町」の間にある仲宿商店街が石神井川と交わるところに「板橋」が架かっています。
今、 この「板橋」は、コンクルート製の立派な橋です。

板橋は鎌倉時代の文献にでてくる橋ですので、当時はたいそう立派な橋だったのでしょう。
当時は、交通の利便より、軍事や防犯の面を優先し、橋を架けることは稀なことだったのではないでしょうか。 また技術も現代のようにはいきませんので、橋といっても、丸木を渡しただけの簡単なもの多かったのではないでしょうか。
そこに木を加工した、まさに木の板でできた橋が造られたとすれば、人々に広く知られ、評判の橋であったことは想像に難くありません。 (全部想像です。)

板橋

板橋の賃貸マンション

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