4月 212014
 

神田(カンダ)

地名 : 千代田区神田○○、・内神田(ウチ)、・外神田(ソト)、・西神田(ニシ)、・東神田(ヒガシ)
駅 :   神田駅(JR、東京メトロ銀座線)
神社 : 神田明神
川 :   神田川

神社が所有する田を指す神田(しんでん、かんだ、こうだ、かみだ)に由来する。

神田は神社(しばしば伊勢の神宮)に納める稲を作る田のことで、それがあった場所の地名になっていることも多いそうです。
ということで、この周辺は神社の所有する田のあった地と思いたいのですが、いかがでしょうか。

では、神田周辺にはそんなにたくさんの田んぼがあったのかということに、疑問が残ります。
現在の千代田区には神田の名のつく地名がたくさんありますが、そこが全て田んぼだったかどうかはわかりません。
現在の神田○○の地名ができたのは、1947年(昭和22年)に、かつての神田区と麹町区が合併した千代田区の誕生の際に、神田区の町名には「神田」を冠した町名に変更されたことによります。(一部例外の町名あり。)
こんなに広大な地域が田んぼだったとは考えられないですよね。

そこで気になる存在が、神田明神です。

神田明神は、平安時代の730年(天平2年)、武蔵国豊島郡芝崎(現在の千代田区大手町将軍塚周辺)に創建された大変古い神社です。
のちの1309年(延慶2)に平将門の霊を相殿に祀り、神田神社と名付けられました。

(そんなんです。「神田明神」という名は通称で、正式には「神田神社」正しいそうです。「神田明神」の名前があまりに親しまれているので、あえてそうしているそうです。)

徳川家康が江戸幕府の地と定め、大規模な城下の造成工事を始めることとなり、1616年(元和2)に江戸城の表鬼門に当たる現在の地に移されました。それ以降、歴代将軍の崇敬も篤く、神田明神は江戸の総鎮守として庶民に至るまで人々の崇敬を集めてきました。
今でも、神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神でその影響は広範囲に及ぶそうです。

このような訳で、広く江戸の街に影響を及ぼした神田明神の名が、今でも数多く残る「神田」の地名の元となったと考えてはどうでしょうか。
「神田」は、言葉の起こりとしては、神社の田んぼで正しいと思いますが、東京の神田の由来としては、この地にある神田明神の神田が由来といってもよいのではないでしょうか。
(100%想像です。)

その神田明神ですが、そのホームページで神田明神の「神田」の由来について、話されています。
確かなことはわからないようですが、以下のような説があるそうです。

①神社を創建した真神田氏の名からとり「神田」とし地名の「神田」もここからつけられた。
②ご祭神・平将門命にちなんだ説として、将門公の「からだ」がなまって「神田」、「からだの明神」が「神田明神」となったという説や、将門公の「かため」がなまって「神田」、将門公が片目を射抜かれたという伝説からつけられたものなどがある。
③「神田」を「みとしろ」と読ませ、伊勢の神宮に奉納する初穂を作る神の田んぼ=神田(みとしろ)から名づけられたという説

神田(神田明神)

1月 232013
 

飯田橋(イイダバシ)

地名 : 千代田区飯田橋

橋名 : 飯田橋

駅名 : 飯田橋駅(JR総武線、東京メトロ東西線・有楽町線・南北線、都営大江戸線)

飯田橋という橋の名前から。

1590年(天正18年)、徳川家康(1543~1616)が江戸に入り、現在の飯田橋周辺を視察しました。
このときの案内役が飯田喜兵衛(イイダキヘエ)という住人でした。
家康は視察後、彼を名主に任命し、さらに土地の名前を、喜兵衛にちなんで飯田町(イイダマチ)とするよう命じました。
その後、この界隈は「飯田町」と呼ばれ親しまれました。

しかし、「飯田町」は愛称で正式な町名になったのは、明治維新後の1872年(明治5年)のことです。

1881年(明治14年)、飯田町の北側にある江戸城外堀に橋が架けられました。
この橋は町の名前にちなんで「飯田橋」と命名されました。

現在の「飯田橋」はコンクリート製で1929年(昭和4年)架けかえられたものです。

そして、1966年(諸和41年)に「飯田橋」が町名として採用されました。
かつての「飯田町」の地名は今はありません。

飯田橋外堀方面。
飯田橋外堀方面。 / yoppy

7月 102012
 

一番町(イチバンチョウ)

地名(千代田区一番町)

江戸時代に旗本の中から直接、将軍を警護するものを大番組と呼び、江戸城の西側の一帯に住まわせました。
大番組は、一番組から六番組まであり、これが現在の一番町から六番町の地名に引き継がれています。

一番町はかつての五番町、上二番町、元園町一丁目の一部が合わさって、今の一番町になっているように、元々、一番組があったところが、現在の一番町とは限りません。

※旗本(ハタモト)=武士の身分の一つ。江戸時代では、徳川将軍家直属の家臣団のうち、石高が一万石未満で、儀式など将軍が出席する席に参加する御目見以上の家格を持つものの総称。だそうです。

A part of Tokyo Imperial Palace.
A part of Tokyo Imperial Palace. / CLF

10月 282011
 

千代田区(チヨダ・ク)

区名

江戸城の別名、「千代田城」にちなんで。
千代田は千年(長い間)栄える田地という大変おめでたい意。

区名は「千代田区」に 区名については、各区が新区発足ぎりぎりまでもめ続け、そのほとんどが昭和22年2月以降に決めているのに対し、本区は、統合を議決した昭和21年12月に「千代田区」とすることを同時に議決していました。  この「千代田区」という名は、両区の統合が話題にのぼった当初から、これといった異論もなく認められていました。それは、「干代田」という名前が江戸城の別名「千代田城」にちなんだものであり、本区が、この城を中心に発展してきたことから、新しい区名としてごく自然であり、文字もやさしく、言葉のひびきも美しいという理由からだろうと考えられます。  このようにして、70年の歴史をもつた麹町区と神田区は昭和22年3月14日を限りに、翌15日から千代田区として、新しくも輝かしい第―歩を踏み出すことになりました。
(千代田区総合ホームページ より) http://www.city.chiyoda.lg.jp/service/00000/d0000097.html

 

Diet Building
Diet Building / Hyougushi

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