2月 022013
 

向丘(ムコウガオカ)

地名 : 文京区向丘

向こうにある丘の意味。

かつて、上野の高台は忍ヶ岡(丘)(シノブガオカ)と呼ばれ、忍ヶ岡から不忍池(シノバズノイケ)を挟んで向こう側にあった岡を向ヶ岡(丘)と呼んでいたそうです。

現在の文京区弥生のかつての住所、向ヶ丘弥生町の中にも向ヶ丘の地名がみられます。
1964年(昭和39年)、住居表示により向丘1丁目ができ、1967年(昭和42年)に向丘2丁目ができました。

向丘(不忍池)


ここで気になってくるのは、「向丘(向ヶ岡)」と対比をなした「忍ヶ岡(丘)」がなんなのか、ということ。

忍ヶ岡という名は、かなり古くから使われていたようですが、現在は地名として残っていないためか、その由来はわかりませんでした。

そこで、上野にある「不忍池」から何かヒントかつかめないかと思い、調べたのですがさっぱりわかりません。
ちなみに、不忍池の由来は忍ヶ岡によるそうです。

そこで、「忍」の文字に注目。
忍 = 1 がまんする。じっとこらえる。2 むごいことを平気でする。3 隠れて行動する。4シノブ科の多年生のシダ。

ここで、「忍」は植物であるとしたら、忍ヶ岡はシダの生い茂る岡であったからとするのがわかりやすい、と思いますがいかがでしょうか。
そうかもしれないと思いつつ、そうなると不忍池がどうもしっくりこないような気もします。池だからシダは生えなかったのかなあ。

なので、仮説をもう1つ。

上野」の記事の中でも紹介した、由来の説の1つ。

藤堂高虎(トウドウ タカトラ、1556年~1630年、戦国時代から江戸時代初期の武将、大名、伊予国今治藩主。)が、当地の地形が本拠地たる伊賀上野(イガウエノ・現在の三重県西部 伊賀地方)に似ている点から「上野」と命名したという説。

この藤堂高虎は、伊賀上野が本拠地とあります。
すると、「忍」はニン、ニン。伊賀忍者の「忍」ではないでしょうか。

本人は戦国武将ですから忍者ではありませんが、本拠が伊賀であったのなら、忍者を引き連れてこの地にやってきたことはあるかもしれません。
そこで、忍者の訓練なんかをしていたとしたら、人々が「忍びの岡」と呼んだかもしれません。
これによって、「上野」の由来の一説になったのかも。

「上野」の由来では、その地形からの説が有力としていますが、それぞれの要素がうまく結びついたのではないでしょうか。

まあ、それでもやっぱり不忍池の説明がつきませんね。
池や池袋のほとりでは、忍者の訓練はしていなかったとか、池の周りにいる人は忍者ではなく地元の人だったとかと無理やりこじつけようとしてはいけません。
なんせ、15世紀頃にはすでに不忍池と呼ばれていたそうですので、藤堂高虎より前の話になっています。

やっぱり、シダの「忍」なのかなあ。

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